当事者に対するスティグマ(烙印(らくいん))って書くとたいていのひとは差別とか悲惨な状況を考えるだろう。
僕自身の例でちがうんだということを証明してみたい。
まず発達障害ということがわかって、自分自身に発達障害者の起こした事件を見て、いつか自分をするんではないかと思う不安。
自分を勝手に責めてしまうわけのわからん状態になってました。
で、ほかの当事者を見て、マスコミが流す情報は一部でほかの人はほとんど自分自身の悩みや苦しみを抱えながら生きているという実態がわかる。
障害の自己受容ができた後、社会参加しようとすると、今度は世間が無知ゆえに精神障害者を怖がる。そして、サポートする自信がないと言って、ご遠慮していただく。
実質拒否だよね。僕はそういう体験をたくさんしてきました。言葉としては柔らかく、そして思いやる言葉を使いながら、でも受け入れは難しいと続く。
そこを無理やり受け入れろとはできない。
今当事者が当事者のまま社会参加する道が私には見えていない。
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