英国王のスピーチを見て
英国王のスピーチを見て、吃音持ちなのですが、精神的なものとして扱われているのが気になりました。
ある言語聴覚士と出会い、自分の吃音と向き合っていくのですが。この言語聴覚士が曲者で、常識にとらわれないアプローチで吃音と向き合います。
向き合う過程に父や兄との葛藤、精神的重圧、それらに立ち向かいながら、吃音に取り組んでいく姿。諦めそうになる英国王の姿。この辺りにはうるうる来ました。
そして吃音に向かった効果はありました。しかし途中で言語聴覚士の事実がわかり、英国王の葛藤が発生します。言語聴覚士の処遇をどうするか?その結論は???
英国王の葛藤の結果は是非映画をご覧ください。
最後のスピーチではちょっとだけ吃音が入りますが、少し吃音がないと私だとわからないだろうというジョークをかます。
どこまでが障害で、どこまで努力で治せるかはいつも悩みます。原因がはっきりとわからないため、出来ないと思っていたことが視点を変えるとできるようにもなりますし、出来ないままでもあります。
今回は精神の問題ということになっていましたが、はたして本当に精神的な問題だけなのか?
努力で外から治ったように見えたら、発達障害は治ったのか?いや実態はただ本人が常に努力しているだけ、そしてそれは周りからひょうかされることはない当たり前のこと。
0 件のコメント:
コメントを投稿