2011/09/15

障害受容とその後

障害の受容から他の人と交流したいという気持ちへの流れを自分なりにまとめてみました。後で、ブログと照らし合わせながら、もう少し修正する予定ですが、私はこんな気持ちで今の状態になっています。ちなみに下記の表は発達障害児の親御さんの受け入れる過程を自分の障害受容にあてはめました




精神的打撃と麻痺の状態 今まで無理して頑張ってきたのに、実は発達障害かもしれないという衝撃のため、何もかも嫌になり、確定診断で否定されることを願って病院の門を叩いた
否認 診断前の状態で、自分自身の障害という事実が半信半疑で受け入れることができない。会社の上司に伝えたら、多分そうだと思っていたといわれた。
パニック 診断後、時間の経過とともに、健常者として暮らしている困難さを感じ、すベてにおいて絶望を感じる。仕事などをしても自分の限界を感じて、かつ周りに迷惑をかけたくないという思いから退職してしまった、しばらくひきこもり状態です
怒りと不当感 ・今まで育ててきた親に対する、どうして気付かなかったという怒りが発生した。
・先生に対する変な子と言いながら、どうして私をさけてきた、どうして後一歩どうして踏み込まなかったという怒り
・国に対する発達障害を理解しない怒り
・無自覚な発達障害者への怒り(どうしてお前は気付かない、それだけ周りに迷惑をかけているのにという怒り)
敵意とルサンチマン(恨み) 親と国に怒りが向けられ、特に国には敵意が生まれてきた。発達障害と診断が出たなら、その枠の中で国の制度をうまく活用してやろうと思った。発達障害というのを利用して、国に復讐してやる。最後は大往生してやることが最大の復讐だと思った。そしてハローワーク通いがはじまった
罪意識 今までしてしまった障害起因の失敗などを思い出す。迷惑かけた人々に申し訳ない気持ちでいっぱいとなる。消えたくなる気持ちでいっぱいになる。でも国への敵意はきえず
孤独感と抑うつ感情 私みたいな発達障害者は一人だと感じ、孤立感を感じ、絶望感につながっていく。行く場所を見いだせない。
精神的混乱とアパシー(無欲・無関心) 孤立感を感じて、退職したことも重なって、日常生活における目標を見失った空虚な気持ちに支配されて、何をしたらよいのかわからなくなったり、何もしたくない状態になった。
あきらめから受容へ 他人のブログや本を読みながら、受容開始。2011/9/15 6:59時点でも、まだまだ受容をしている段階であり、「何をあきらめず、何をどこまであきらめるのか?」を常に考えています。特に、他の人と交流したいという気持ちが強くなり、当事者会をようやく見つけ、参加し始めたり、自分自身で開催し始めた。これが自分自身の障害受容につながりはじめていると感じている。まあ、その当事者会もすぐ追い出されて、自分ではじめているのがピアサポートです。
10 新しい希望、そしてユーモアと笑いの再発見 親父的、かつ、すべるギャグしか言えないが、まあ、言えるようになったし、笑えるようにはなった。
後は、笑いをもとめるようにはなってきたかな。希望はまだない。
11 新しいアイデンティティの誕生 受容が終わっていないため、まだ、誕生していないな。受容しきったら、書きます。

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