自分なりに障害の受容について考えてみました
元になった私のつぶやきを参照してみてください。
私は一番気にしているのは特にコミュニケーションができません。
これを元に障害受容って何だろう?と考えてみました。
まず、受容とはアスペルガーの診断ではない。
アスペルガーって分かってもコミュニケーションが苦手な部分は改善しない。
受容とは他人に病名を伝えることではない。
他人に伝えても、アスペルガーの症状の幅は大きすぎる。同じアスペルガーでも1人1人違うのだ。
アスペルガーの症状は、いや発達障害の症状の幅は、百者百様と言っても過言でないと私は思う。
受容とは他人から病名を断定されることでもない
あなたはADHD,あなたはアスペルガー、あなたは発達障害と指摘されることではない。私は医者ではない。もし医師だとしても他の医師が診断したら、違う診断名がつく可能性もある。
障害の受容とは何だろう。しばらく考える。
例えば、私が受容しなくてはいけない障害としてコミュニケーションがある。コミュニケーションに何があるといわれても、字義通りのコミュニケーションはできる。ある程度の隠れたメッセージも読み取れる。読み取れないのは目の前にない情報(お客様の状態、プロジェクトの進行状況など)をひっくるめて話すことだ、その中の隠れたメッセージを読み取れない。お客様に言われた調整内容を実施した場合の困難さも想像できない。
私の場合の障害の問題点はワーキングメモリが小さく、頭の中で、思い出す作業と考える作業ができないことだ。
今の状態は適切すぎるほど、把握している、そして会議に臨んで、調整が入ると、調整することで、どこに影響するか分からない。いや適切に処理できない、1人で静かな環境ならできる。これでは会議に参加する意味がない。
さてさて、この場合どうするか、会議の事前にシュミレーションすることやマインドマップでメモることである程度カバーできるが、想定外や迅速な対応を望むお客様には対応できない
想定外が続くことで、とんちんかんな私の発言も続く、それを防ぐためのシュミレーションには大変な時間がかかる。毎日の仕事の間にはシュミレーションできるものではない。。。どこかで、手を抜かないといけないのだ。
今はコミュニケーション全般をできないことにしてそこから逃げている。これも1種の障害受容だと思っている、自分の障害を把握すること、そして、その適応方法です。
この例で考えると、障害の受容とは本人の中だけの話しだ。
ADHD,アスペルガー、発達障害というカテゴリ分けでできるものではない。むしろそのカテゴリ分けは障害受容の弊害となる。まず医師によって同じ人に対してでも診断名が異なるケースが多々ある
また、症状名で安心して、自分特有の障害をあまり考えなくなるケースが多いので、私はピアサポートなどでもできる限り、私の障害名であるアスペルガーなどと言いたくなかったりする。まあそのときの主宰者の判断には従うけどね。
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