私、けんのリカバリーストーリをまとめてみました。
幼稚園の頃から違和感を抱きながら、生きてきました。
友人もいませんでした。そしていじめにも何回も受けてきました。
友人もいませんでした。そしていじめにも何回も受けてきました。
いじめられている最中の私はここにいる私は私ではないと一生懸命言い聞かせました。
幸い多少記憶力はよかったので、大学にはいけました。が仕事はさっぱりできませんでした。
7回の転職をし、7社目ではリストラされました。それは39歳の時でした。
そして私はリストラされるときに会社の部長からこんなことを言われました。「幼稚園児や小学生でもできることがお前には出来ない、お前は決して成長しない、お前は絶対発達障害だから病院に行ってほしい。」
幸い多少記憶力はよかったので、大学にはいけました。が仕事はさっぱりできませんでした。
7回の転職をし、7社目ではリストラされました。それは39歳の時でした。
そして私はリストラされるときに会社の部長からこんなことを言われました。「幼稚園児や小学生でもできることがお前には出来ない、お前は決して成長しない、お前は絶対発達障害だから病院に行ってほしい。」
リストラされたときに会社に依存していた私は全ての人のつながりが切れました。
残ったのは絶望だけでした。このときに主治医にWrapの本をいただいたのですが、そのまま肥やしになっていました。
3カ月ほど家に引きこもりました。障害者手帳も取れたので、失業手当をもらえるという話を聞き、今までがんばったんだから、もらえるものはもらっておこうともらいに行きました。
ひと月に1件求人情報を検索すればよかったのです。それだけで毎月失業手当がもらえる。
残ったのは絶望だけでした。このときに主治医にWrapの本をいただいたのですが、そのまま肥やしになっていました。
3カ月ほど家に引きこもりました。障害者手帳も取れたので、失業手当をもらえるという話を聞き、今までがんばったんだから、もらえるものはもらっておこうともらいに行きました。
ひと月に1件求人情報を検索すればよかったのです。それだけで毎月失業手当がもらえる。
リストラされた当時は運よく精神の障害者が障害者雇用率に算入してもよいときでした。
私はどんな会社があるのだろうと、仲間たちと就労の情報交換をしながら、私は105社応募しました。今の会社に今でも継続しています。仲間たちと2次面接までいったなどの情報交換したのは有益なだけでなく、とても心の助けになりました。「10社落ちる会社増えるたびにいい加減就労をあきらめなさい。もう40歳なのだから、もう変わらないわよ。」と支援者や冷ややかな目でみた当事者たちに言われ続けました。そんなときにも就労を目指す人がいることは助けになりました。一緒に就労を目指す人たちがいたおかげで私は就活を目指せたんだと思います。
私はどんな会社があるのだろうと、仲間たちと就労の情報交換をしながら、私は105社応募しました。今の会社に今でも継続しています。仲間たちと2次面接までいったなどの情報交換したのは有益なだけでなく、とても心の助けになりました。「10社落ちる会社増えるたびにいい加減就労をあきらめなさい。もう40歳なのだから、もう変わらないわよ。」と支援者や冷ややかな目でみた当事者たちに言われ続けました。そんなときにも就労を目指す人がいることは助けになりました。一緒に就労を目指す人たちがいたおかげで私は就活を目指せたんだと思います。
なんとか105社目で内定をいただき、私の障害者就労は始まりました。
ただ見た目は同じせいでしょうか?見えない障害だから、周りは健常者と同じようにうごくことを求められました。
ストレスがたまり、支援者ももう諦めなさいばかりでなんの支援にもならず、AC、当事者研究、NLP、コーチング、CBT、サイコドラマ、SST、そして最後にWrapを試しました。Wrapに合うまで自分の希望はなかったし、権利擁護をすることもなかった。もめそうになったら、私なんかと思って、譲っていました。
ただ見た目は同じせいでしょうか?見えない障害だから、周りは健常者と同じようにうごくことを求められました。
ストレスがたまり、支援者ももう諦めなさいばかりでなんの支援にもならず、AC、当事者研究、NLP、コーチング、CBT、サイコドラマ、SST、そして最後にWrapを試しました。Wrapに合うまで自分の希望はなかったし、権利擁護をすることもなかった。もめそうになったら、私なんかと思って、譲っていました。
Wrapで試行錯誤しながら、NAVAのピアサポ祭り、関東当事者研究交流集会などでさまざまな当事者のリカバリーストーリーを聞くことが私へのヒントとなりました。
いろいろ試行錯誤し、5つの大切なこと(希望がないまま)が決まり、もうこれ以上は変わらないだろうと思っていました。Wrapも日々こなしていく中で、
今は人とのつながりを感じられることで、希望の感覚を感じるようになり、Wrapを日々研鑽していくようになりました。
すると、今まで固定していた5つの大切なことが変わり始めました。今まで独立していた5つの大切なことがお互いに作用し、影響しあうようになりました。
いろいろ試行錯誤し、5つの大切なこと(希望がないまま)が決まり、もうこれ以上は変わらないだろうと思っていました。Wrapも日々こなしていく中で、
今は人とのつながりを感じられることで、希望の感覚を感じるようになり、Wrapを日々研鑽していくようになりました。
すると、今まで固定していた5つの大切なことが変わり始めました。今まで独立していた5つの大切なことがお互いに作用し、影響しあうようになりました。
50近くになった私でもまだ変わることができるんだ。「幼稚園児や小学生でもできることがお前には出来ない、お前は決して成長しない、お前は絶対発達障害だから病院に行ってほしい。」と前の会社の部長から言われました呪縛から解放された瞬間でした。
変化できる自分、成長できる自分が私にとっての希望の感覚になりつつあります。今後私はどんな変化をするのだろう?私は今まだリカバリーの途中です。今後の私が楽しみでもあります。