私は、自助会に通う前と通ったあとでは自分の中に大きな変化がありました。
自助会参加前の私は、生きているだけで周りに迷惑をかけているように感じていました。何かを望んだり、感情を表したりすることも許されないと思っていたのです。
子どもの頃、父親から「お前は何言ってるかわかんねえ、喋んな」と言われたことがあります。その言葉に本当は悔しさを感じていたはずなのに、長い間、その感情さえ認められませんでした。
悲しい、悔しい、愛されたい。そんな気持ちを持ってはいけないと思い、人を信じることもできませんでした。誰かに話しても、嫌われるのではないか、迷惑なのではないかと、いつも不安でした。
つらい感情から逃れるために、食べ物や買い物、漫画に向かいました。その間は何も考えずに済みましたが、苦しさが消えることはありませんでした。
一時期、私は本当にやぶれかぶれでした。
「俺みたいな不幸なやつは他にいない。だったら、他の人も不幸にさせればいい。むしろ巻き込んでしまえ」
そんなところまで追い込まれていたのです。
夜の街を意味もなく一人で歩き、誰かに会っていたら殴っていたかもしれない。今振り返ると、警察のお世話になっていてもおかしくない状態でした。
それほど苦しく、私には希望がありませんでした。
初めて回復の場に行ったときも、「希望」という言葉は遠く、何を言っているのか理解できませんでした。主体性も、自分の権利を守る力もなく、「自分なんかが申し訳ない」と感じていました。
その後、5つの大切なことや回復の本、人との出会いを通して、少しずつ自分の内側を見つめられるようになりました。ロールプレイやフィールドワークでさまざまな場面を体験し、人によって感じ方が違うことも知りました。
「ああ、これは俺も悲しんでよかったんだ」
「ほかの人も、こういうときは苦しいんだ」
そう気づけたのは、自分一人では見えなかったものを、人との関わりの中で見つけられたからです。
それでも、今も人を信じることや、自分のことを話すことは簡単ではありません。父親の「お前は話すな」という言葉が、今も自分の中に残っているのかもしれません。
コミュニケーションの難しさにも気づき、診断後はずいぶん気をつけてきました。それでも、まだ難しいことはあります。食べ物や買い物に逃げることも、感情を抑えることも、長年の習慣として残っています。
以前の私は、何もかも我慢し、社会の端っこでいいから生きていこうとしていました。
でも、今は少しずつ変わっています。
私はまだ、希望を完全に理解しているわけではありません。回復の本を読んでも、すぐに意味がわかるわけではありません。それでも、「いつか希望を持てる日が来るかもしれない」と思えるようになりました。それは、私にとって大きな変化です。
今、私には親友と呼びたい人がいます。その人とのつながりが、大切な支えになっています。人とつながり、誰かと一緒に何かをつくるとき、私は少しずつ「ここにいてもいいのかもしれない」と思えます。
以前は、何を希望として分かち合えばいいのかわかりませんでした。今は、「いつか希望を持てるかもしれない」と思えること自体が、私にとっての希望です。
私はまだ、人を信じることも、感情を表すことも、うまくできません。それでも、すべてを諦めていた頃には戻りたくありません。
悔しさや悲しさを感じてもいい。誰かに助けを求めてもいい。人とつながってもいい。
そう学びながら、これからも自分の感情を否定せず、自分の人生に向き合っていきたいです。そしていつか、自分の中に生まれた希望を、誰かと分かち合えるようになりたいと思っています。
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